大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和56年(オ)419号 判決

上告人

山下光義

上告人

奥あきの

上告人

大國護とし子

右三名訴訟代理人

酒井祝成

後藤年宏

被上告人

山下春之

右訴訟代理人

天野茂樹

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人酒井祝成の上告理由中弁論主義の違反をいう点について

本件記録に徴すると、被上告人の事実上の主張及び弁論の全趣旨により、亡山下辰二の本件土地所有権の喪失に関する被上告人の抗弁中には、辰二の生前に亡山下孝二との間で贈与契約が成立したとの主張をも包含していると解することができないものではなく、原判決が右主張事実を肯認したことには、当事者の主張しないことを認定した違法があるとはいえない。論旨は、採用することができない。

その余の点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(伊藤正己 横井大三 寺田治郎)

上告代理人酒井祝成の上告理由

第一点 控訴裁判所の判示は、

1 「民事訴訟法第一八六条、裁判所ハ当事者ノ申立テサル事項ニ付判決ヲ為スコトヲ得ス」、即ち、弁論主義の原則に違反する。

2 又、昭和五二年(オ)第一一四四号、最高裁判所第一小法廷、(昭和五五年二月七日、言渡)の判例に違反する。

一、原判決は、(控訴審判決)「本件不動産は亡山下孝二が亡山下辰二から生前贈与を受けた」と認定する。

しかしながら、右贈与の原因について、被上告人は死因贈与であると抗弁しているが、生前贈与を受けたものであると主張していない。しかるに、原判決が生前贈与と認定、判示したことは弁論主義に反する判断である。

二、「生前贈与」の根拠、理由につき、原判決は「推認」されるというが、贈与者「辰二」の贈与意思があつたということ、意思表示のあつたこと、等を証明する事実、証拠、主張等全然存在しない。

(イ) 「昭和二九年初め頃孝二が辰二のところにかへつて来て、家業を手伝い、後に共同経営するようになつた。」と原裁判所はいうが、右両者(辰二、孝二)の事業は共同経営という様なものではなかつた。

孝二は建具材、辰二は建築材の売買をなし、全然別個の営業内容を、別々に行つており、金銭経理等については辰二は孝二に関知させず截然と区別していた。

辰二は孝二と同居こそしていたが、同居の間、常に円満を欠くものがあつたことは、親族は勿論のこと、近隣においても衆知の事実であつた。

(ロ) 原判決は「遅くとも昭和三三年度の事業者名義を孝二に移す時点には、本件土地について登記簿上のみならず実体上も孝二の所有とすることを肯認していたと推量される。」と判示するが、この判断も証拠によらない独断である。

右事業者名義、変更の理由は、辰二が税金対策のため行つたものである。辰二は本件不動産を取得した当初から税金対策に苦心し、右不動産を孝二名義としたことは、弁論の全趣旨によつて、明白である。又このことは上告人らが終始一貫して主張しているところである。そして「材木商営業について昭和三三年度の事業者名義を辰二から孝二に移した。」ことも、やはり、辰二の税金対策上の処置であつたのである。それは、右事業者名義を変更した後においても、営業行為の実体については全く変更がなく、建築材の取引は辰二が行なつており、孝二は従前どおり建具材の売買業務に従事していて、事業内容、営業行為の実体には少しの変更もなかつたのである。

それのみではなく、事業者名義の変更は本件不動産の変更行為とは何等の関連もないのであつて、原判決が独断と偏見によつて無理に関係づけたものである。

この時点において、即ち昭和三三年度の事業者名義の変更の時に、本件不動産を「辰二」が「孝二」に贈与するという意思表示があつたなどという事実、証拠は全く見当らない。

例えば辰二の妻に話すとか、上告人らは勿論のこと隣人、友人等に言つた等という事実もない。

三、また原判決は次のとおり判示する。「辰二において本件土地を孝二に贈与しようとの意思が明確となり、意思表示の方法として前記名目的な登記をして実質的な権利関係の実体に添うものとして追認したわけである。」と。

右判断は事実を著しく誤認し、曲解したものである。けだし、贈与の追認というためには、過去において贈与行為という事実があり、後日に至つて、之をさかのぼつて認めるというものでなければならない。しかるに、本件の場合は、原判決も認めているとおり、本件不動産は辰二が自己のために取得し、昭和二八年七月三一日に至り孝二名義に登記したのであるが、この登記は辰二が税金対策上のものであつて、当時孝二に贈与するという意思は全くなかつた。そうだとするならば、即ち、贈与という実体関係がないのであれば、「追認」という法律効果の発生する理由もない。

四、更に原判決は次の様に判示する。

「かくして、辰二は孝二と本件土地を贈与する契約を結んだものである。」この判示こそ、この事実の認定こそ、弁論主義の原則、並びに証拠裁判主義に著しく背反する。

ここに縷々、説明するまでもなく、贈与契約が成立するためには、贈与者から贈与の「申込」があり、受贈者から之に対して「承諾」の意思表示を必要とする。しかるに、本件一件記録の全部につき精査して見ても、辰二が孝二に対して、本件不動産を贈与したという主張もなければ、証拠も見当らない。まして「贈与の申込」が存在しないのだから「承諾」のある筈もない。

尚この事実、即ち贈与契約の存在についての立証責任は被上告人にあることを附記しておく。

五、原判決は「控訴人光義は高等教育を受けているのに、既に嫁している控訴人奥あきの、同とし子は別として、孝二のみは兄弟と較べて他に取立てた生前贈与を辰二から受けていた形跡もないことに徴すれば、……本件土地に関する前記贈与契約の成立の認定を妨げる事情とは認められない。」と判示する。この点も原判決の独断である。

光義は辰二の世話になつて卒業したのは義務教育である高等小学校のみである。光義は昭和二一年以後は家事の事業である材木商を兄光一と共に手伝いながら夜間高校を卒業したものである。そして旧制の至徳専門学校を昭和二九年三月卒業し、且、教員免許状を取得したのであるが、之も自己に於いて事業を行い、学費を捻出して卒業したものである。兄光一は昭和二六年九月に上京してしまつたため、光義は父辰二の事業を(建具材の売買)手伝わなければならない立場にあつた。そのため光義は旧制専門学校に入学したものの、家業から離れて学生生活に専念することも出来ず、家業の合間を見ては時々上京して(一カ年の内約、三週間位)、ようやく単位を取り、学校を卒業した。所謂、苦学生であり、アルバイトをしながら(むしろ本業である。)学業を修得したものである。したがつて、上告人光義が「高等教育」を受けたことを理由として、贈与契約の成立を左右することは不当である。

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